シカゴ(四箇郷)地区散策(その2)など in 2023年10月の一時帰国(和歌山市) [日本::和歌山県::全般]
先日の記事でも書きましたように、2023年10月上旬に4日間ほど日本への一時帰国をしました。
いつもと違い関西方面の一時帰国で、初日は大阪に向かいました。二日目以降は、和歌山市です
二日目の午前に大阪から和歌山市に向かい、ホテルに荷物だけ預け、和歌山城レンタサイクルを利用して、和歌山市に住んでいた頃の場所へ自転車で散策しに行きました。
前の記事で、20~30年ぶりにシカゴ(四箇郷)地区を散策して、昔通った小中学校などについて紹介しました。
この記事はそれ以外についてご紹介します。
小学校の校区は北側に紀ノ川が接しています。その部分には堤防があり、道路が通っている部分もあります。
学校から堤防に向かうと、2021年に崩落した六十谷水管橋が見えます。
ニュースで見たときは、まさか昔見たことのある場所だという感じでしたが。
この水管橋は紀ノ川の北側に上水を送るもので、これができてから紀ノ川の北側の生活が楽になり、人も増えてきたそうです。
これの送り元は、小学校の校区内にある加納浄水場です。
ここに沿った道は、小中学校に通うときの通学路で、いつも通ってました。
非常に懐かしい場所です。近くに神社もあります。
場所は、この辺りです。阪和線にも沿っているので、電車からも見えます。
そのまま東のほうに向かい、昔住んでいた場所に向かいます。
父が県の公務員ということもあり、官舎に住んでいました。
その官舎が紀ノ川工業用水道管理事務所の中にありましたが、今は更地になっていてもう無くなっています。
平屋の一軒家で、庭と駐車場まで付いてましたが、如何せん、当時でも古かったですね。
家に来るためには「立入禁止」と書かれた管理事務所の正門から入る必要があったのですが、家庭訪問のときに学校の先生がいつもためらいつつ入ってくるという感じでした。
すぐそばに阪和自動車道が通ってますが、騒音はそれほどなく、静かでした。
田んぼが多かったので、夏にはカエルの鳴く声のほうが大きかったですね。
近くの堤防では春にはつくしが取れましたし、秋はススキも多くありました。
場所は、紀ノ川の南岸と阪和自動車道が交差する辺りです。
ほぼ、隣の校区との境です。
昔住んでいたところから南のほうへ向かうと、松島の神社もあります。
祭のときに、餅まきとかもあったのを覚えてます。
また、友達と遊んでいたときもありましたね。
ここも懐かしいです。
和歌山城レンタサイクルで自転車を借りて四箇郷地区に来ていたので、ホテル側へ戻るときに市内で通過したところもあります。
かつての丸正百貨店と、ぶらくり丁です。
ぶらくり丁は一つではなく、複数の通りにあります。
ただ、いずれも今はシャッター街ですね。
私が小中学校の頃は、平日でも人が多く、休日にはかなりの人混みだったのですが...
そのぶらくり丁付近で、今一番人がいるのがドン・キホーテという...
自転車を返却しに行ったとき、和歌山城の広場では、ちょっとしたイベントをしていました。
防災・防犯系のイベントのようでした。
前の記事と合わせて、個人的に非常に懐かしい場所を散策した内容を紹介しました。
単なる自己満足かもしれませんが、そういう記事が書けること自体がうれしいです。
いつもと違い関西方面の一時帰国で、初日は大阪に向かいました。二日目以降は、和歌山市です
二日目の午前に大阪から和歌山市に向かい、ホテルに荷物だけ預け、和歌山城レンタサイクルを利用して、和歌山市に住んでいた頃の場所へ自転車で散策しに行きました。
前の記事で、20~30年ぶりにシカゴ(四箇郷)地区を散策して、昔通った小中学校などについて紹介しました。
この記事はそれ以外についてご紹介します。
小学校の校区は北側に紀ノ川が接しています。その部分には堤防があり、道路が通っている部分もあります。
学校から堤防に向かうと、2021年に崩落した六十谷水管橋が見えます。
ニュースで見たときは、まさか昔見たことのある場所だという感じでしたが。
この水管橋は紀ノ川の北側に上水を送るもので、これができてから紀ノ川の北側の生活が楽になり、人も増えてきたそうです。
これの送り元は、小学校の校区内にある加納浄水場です。
ここに沿った道は、小中学校に通うときの通学路で、いつも通ってました。
非常に懐かしい場所です。近くに神社もあります。
場所は、この辺りです。阪和線にも沿っているので、電車からも見えます。
そのまま東のほうに向かい、昔住んでいた場所に向かいます。
父が県の公務員ということもあり、官舎に住んでいました。
その官舎が紀ノ川工業用水道管理事務所の中にありましたが、今は更地になっていてもう無くなっています。
平屋の一軒家で、庭と駐車場まで付いてましたが、如何せん、当時でも古かったですね。
家に来るためには「立入禁止」と書かれた管理事務所の正門から入る必要があったのですが、家庭訪問のときに学校の先生がいつもためらいつつ入ってくるという感じでした。
すぐそばに阪和自動車道が通ってますが、騒音はそれほどなく、静かでした。
田んぼが多かったので、夏にはカエルの鳴く声のほうが大きかったですね。
近くの堤防では春にはつくしが取れましたし、秋はススキも多くありました。
場所は、紀ノ川の南岸と阪和自動車道が交差する辺りです。
ほぼ、隣の校区との境です。
昔住んでいたところから南のほうへ向かうと、松島の神社もあります。
祭のときに、餅まきとかもあったのを覚えてます。
また、友達と遊んでいたときもありましたね。
ここも懐かしいです。
和歌山城レンタサイクルで自転車を借りて四箇郷地区に来ていたので、ホテル側へ戻るときに市内で通過したところもあります。
かつての丸正百貨店と、ぶらくり丁です。
ぶらくり丁は一つではなく、複数の通りにあります。
ただ、いずれも今はシャッター街ですね。
私が小中学校の頃は、平日でも人が多く、休日にはかなりの人混みだったのですが...
そのぶらくり丁付近で、今一番人がいるのがドン・キホーテという...
自転車を返却しに行ったとき、和歌山城の広場では、ちょっとしたイベントをしていました。
防災・防犯系のイベントのようでした。
前の記事と合わせて、個人的に非常に懐かしい場所を散策した内容を紹介しました。
単なる自己満足かもしれませんが、そういう記事が書けること自体がうれしいです。