シカゴ(四箇郷)地区散策(その1) in 2023年10月の一時帰国(和歌山市) [日本::和歌山県::全般]
先日の記事でも書きましたように、2023年10月上旬に4日間ほど日本への一時帰国をしました。
いつもと違い関西方面の一時帰国で、初日は大阪に向かいました。二日目以降は、和歌山市です
二日目の午前に大阪から和歌山市に向かい、ホテルに荷物だけ預け、和歌山城レンタサイクルを利用して、和歌山市に住んでいた頃の場所へ自転車で散策しに行きました。
その地域ですが、シカゴ(四箇郷)地区です
いつか紹介・説明できればと思っていたのですが、ようやくそのときが来ました。
個人的には「シカゴに住んでた」という話をすると、外国の方々にもウケる鉄板ネタだったりします。
名前の由来としては「4つの郷(むら)が集まった地域」というところから来ています。ちなみに、その4つは、松島・加納・有本・新在家です。私が住んでいたのは東の端の松島の北東の端っこでした。
和歌山県内でも、和歌山市の方々には知られた地名ですが、それ以外はなぜかほとんど知られてないですね。
漢字をそのまま読むと「しかごう」ですが、昔から地元では「しかご」と呼んでます。
私は幼稚園から中学2年まで住んでいましたが、その間、四箇郷保育所・四箇郷小学校入学・四箇郷北小学校卒業・紀ノ川中学校入学という流れでした。
すべて和歌山市立なのですが、小学校の入学と卒業が違うのは小学2年生のときに四箇郷小学校の児童数が多すぎて2つに分かれ、分かれたほうに通うことになったからですね。
中学校まで四箇郷の名前が付いていれば完璧でしたが、他の一つの小学校といっしょになるため、その名前にならなかったようです。
まずは、和歌山市立 四箇郷小学校に向かいました。
この四箇郷小学校は、四箇郷地区の中では昔から一番賑わっていたところです。
元々、地区内にお店は少なかったですが、その中でもこの周辺が多かったですね。今はもっと少ないですけども。
小学校自体はグラウンドもあまり広くはないですが、学校が分かれる前は、中庭やグラウンドにプレハブの校舎が建っていました。
場所は、国道24号線の四箇郷交差点から入ったところにあります。
和歌山市の地理としては真ん中辺りになりますね。
この南側奥に、かつては四箇郷保育所がありました。私が高校の頃に、他のところに移転し、今は無くなっています。
次に、私が小学2年生のときから始まった和歌山市立 四箇郷北小学校です。
通った頃は、四箇郷小学校よりはグラウンドも広く、校舎ももちろん新しかったです。
ただ、最初は校舎以外は建物が無かったので、体育館やプールができるのはそれから2年ほどかかったと思います。
また、当初はグラウンドに大きめの石なども多く、そういう瓦礫拾いみたいなこともしたことがありました。
この小学校がやはり、一番懐かしく感じますね。
場所は、四箇郷小学校からそのまま北に行ったところですね。
ただ、学校に向かう道は細いものが多く、曲がり角も多いので、けっこう迷います。
ちなみに、四箇郷地区の中心に四箇郷小学校があり、その北側に四箇郷北小学校ができたため、校区はそれぞれ横に細長い形になってます。
四箇郷北小学校の校区内にはお店がほとんど無いため、校区外への一人での外出禁止なんて校則ができようものなら、おつかいはもちろん、塾通い、場所によっては学校に通えないような状況になるので、校区の領域は、どちらの学校もお互いの校区を含んだものになっていました。
なお、私は校区の東の端に家があったので、小学生の時は30分ほどかけて徒歩で通ってました。
それから、中学2年まで通った和歌山市立紀ノ川中学校です。
正門前に神社の参道があるため、鳥居が真ん前にあります。
私が通っていた頃は、9クラスありましたね。クラブ活動もいろいろとありました。
なお、私が通っていた頃は、和歌山県内で一・二を争うヤンキー中学校でした。中学3年のときに、(家系的にも)今の実家のある地域の中学校に転校しましたが、和歌山県内のもう一つの一・二を争うヤンキー中学校でした。
(友達もそちら系の友達も多かったですが、人のレパートリーが多様というのもあって、人生の中ではかなり楽しかった時期でしたね。)
場所は、2つの小学校よりは西側になります。
当時住んでいた家から歩くと大人の足でも30~40分かかりますが、家の場所が自転車通学ができる場所でしたので15分ぐらいで着きました。
私の卒園した和歌山市立四箇郷保育所はもうすでに廃園しているのですが、私が卒園してしばらくしてから移転した建物が、まだ残っています。
地域のコミュニティセンターみたいな形で利用されています。
ベーカリー・カフェがあり、これが人気のようです。
場所は、小学校ある所から東のほうに行ったところですね。
私が通ったときは、この場所と建物ではなかったのですが、廃園というのは寂しいですね。
四箇郷地区は、シカゴという名前の珍しさだけでなく、名所などもいちおうあります。
まずは、四箇郷一里塚です。
国道42号線の和歌山城まで一里(4km)というところに、松の木を植えた塚があり、それがここになります。
昔は大きな松の木があったのですが、枯れてしまって、今は小さい松の木ですね。
一里塚は四箇郷小学校からもすぐのところにある四箇郷交差点そばです。
さらに交差点や一里塚目の前に、和歌山女子刑務所(四箇郷刑務所)があります。
大きな事件などで有罪になった女性が収監されている刑務所でもあります。
昔は高い塀で囲まれていたのですが、今は金網の塀が中心ですね。
入口には、服役中の方々の作られたものなどを販売する所もあります。
私が住んでいた頃から、刑務所の周りはすでに家が多かったのですが、刑務所ができた当初は周辺には田んぼ以外何も無かったそうです。
最後に、シカゴピザ四箇郷店です。
でも、私が住んでいたころは無かったですよ。
ここは現在は休業中ですが、まさかのコラボですよね
登記だけでも本店をここにすれば面白いのにと思ってしまいますが...
場所は、国道42号線沿いの一里塚から少し西に行ったところにあります。
四箇郷地区を散策するのは、20~30年ぶりでした。
当時よりも家が増え、街並みも変わっている所は多かったのですが、道路自体は大きく変わっておらず、通った小中学校もほぼそのままでした。
当時の友達で、家がお店をしている方のところもまだ残っているところがあり、いろいろと懐かしくて目から汗が出てきそうになりましたね。
記事が長くなってきましたので、残りの紹介は次の記事にします。
いつもと違い関西方面の一時帰国で、初日は大阪に向かいました。二日目以降は、和歌山市です
二日目の午前に大阪から和歌山市に向かい、ホテルに荷物だけ預け、和歌山城レンタサイクルを利用して、和歌山市に住んでいた頃の場所へ自転車で散策しに行きました。
その地域ですが、シカゴ(四箇郷)地区です
いつか紹介・説明できればと思っていたのですが、ようやくそのときが来ました。
個人的には「シカゴに住んでた」という話をすると、外国の方々にもウケる鉄板ネタだったりします。
名前の由来としては「4つの郷(むら)が集まった地域」というところから来ています。ちなみに、その4つは、松島・加納・有本・新在家です。私が住んでいたのは東の端の松島の北東の端っこでした。
和歌山県内でも、和歌山市の方々には知られた地名ですが、それ以外はなぜかほとんど知られてないですね。
漢字をそのまま読むと「しかごう」ですが、昔から地元では「しかご」と呼んでます。
私は幼稚園から中学2年まで住んでいましたが、その間、四箇郷保育所・四箇郷小学校入学・四箇郷北小学校卒業・紀ノ川中学校入学という流れでした。
すべて和歌山市立なのですが、小学校の入学と卒業が違うのは小学2年生のときに四箇郷小学校の児童数が多すぎて2つに分かれ、分かれたほうに通うことになったからですね。
中学校まで四箇郷の名前が付いていれば完璧でしたが、他の一つの小学校といっしょになるため、その名前にならなかったようです。
まずは、和歌山市立 四箇郷小学校に向かいました。
この四箇郷小学校は、四箇郷地区の中では昔から一番賑わっていたところです。
元々、地区内にお店は少なかったですが、その中でもこの周辺が多かったですね。今はもっと少ないですけども。
小学校自体はグラウンドもあまり広くはないですが、学校が分かれる前は、中庭やグラウンドにプレハブの校舎が建っていました。
場所は、国道24号線の四箇郷交差点から入ったところにあります。
和歌山市の地理としては真ん中辺りになりますね。
この南側奥に、かつては四箇郷保育所がありました。私が高校の頃に、他のところに移転し、今は無くなっています。
次に、私が小学2年生のときから始まった和歌山市立 四箇郷北小学校です。
通った頃は、四箇郷小学校よりはグラウンドも広く、校舎ももちろん新しかったです。
ただ、最初は校舎以外は建物が無かったので、体育館やプールができるのはそれから2年ほどかかったと思います。
また、当初はグラウンドに大きめの石なども多く、そういう瓦礫拾いみたいなこともしたことがありました。
この小学校がやはり、一番懐かしく感じますね。
場所は、四箇郷小学校からそのまま北に行ったところですね。
ただ、学校に向かう道は細いものが多く、曲がり角も多いので、けっこう迷います。
ちなみに、四箇郷地区の中心に四箇郷小学校があり、その北側に四箇郷北小学校ができたため、校区はそれぞれ横に細長い形になってます。
四箇郷北小学校の校区内にはお店がほとんど無いため、校区外への一人での外出禁止なんて校則ができようものなら、おつかいはもちろん、塾通い、場所によっては学校に通えないような状況になるので、校区の領域は、どちらの学校もお互いの校区を含んだものになっていました。
なお、私は校区の東の端に家があったので、小学生の時は30分ほどかけて徒歩で通ってました。
それから、中学2年まで通った和歌山市立紀ノ川中学校です。
正門前に神社の参道があるため、鳥居が真ん前にあります。
私が通っていた頃は、9クラスありましたね。クラブ活動もいろいろとありました。
なお、私が通っていた頃は、和歌山県内で一・二を争うヤンキー中学校でした。中学3年のときに、(家系的にも)今の実家のある地域の中学校に転校しましたが、和歌山県内のもう一つの一・二を争うヤンキー中学校でした。
(友達もそちら系の友達も多かったですが、人のレパートリーが多様というのもあって、人生の中ではかなり楽しかった時期でしたね。)
場所は、2つの小学校よりは西側になります。
当時住んでいた家から歩くと大人の足でも30~40分かかりますが、家の場所が自転車通学ができる場所でしたので15分ぐらいで着きました。
私の卒園した和歌山市立四箇郷保育所はもうすでに廃園しているのですが、私が卒園してしばらくしてから移転した建物が、まだ残っています。
地域のコミュニティセンターみたいな形で利用されています。
ベーカリー・カフェがあり、これが人気のようです。
場所は、小学校ある所から東のほうに行ったところですね。
私が通ったときは、この場所と建物ではなかったのですが、廃園というのは寂しいですね。
四箇郷地区は、シカゴという名前の珍しさだけでなく、名所などもいちおうあります。
まずは、四箇郷一里塚です。
国道42号線の和歌山城まで一里(4km)というところに、松の木を植えた塚があり、それがここになります。
昔は大きな松の木があったのですが、枯れてしまって、今は小さい松の木ですね。
一里塚は四箇郷小学校からもすぐのところにある四箇郷交差点そばです。
さらに交差点や一里塚目の前に、和歌山女子刑務所(四箇郷刑務所)があります。
大きな事件などで有罪になった女性が収監されている刑務所でもあります。
昔は高い塀で囲まれていたのですが、今は金網の塀が中心ですね。
入口には、服役中の方々の作られたものなどを販売する所もあります。
私が住んでいた頃から、刑務所の周りはすでに家が多かったのですが、刑務所ができた当初は周辺には田んぼ以外何も無かったそうです。
最後に、シカゴピザ四箇郷店です。
でも、私が住んでいたころは無かったですよ。
ここは現在は休業中ですが、まさかのコラボですよね
登記だけでも本店をここにすれば面白いのにと思ってしまいますが...
場所は、国道42号線沿いの一里塚から少し西に行ったところにあります。
四箇郷地区を散策するのは、20~30年ぶりでした。
当時よりも家が増え、街並みも変わっている所は多かったのですが、道路自体は大きく変わっておらず、通った小中学校もほぼそのままでした。
当時の友達で、家がお店をしている方のところもまだ残っているところがあり、いろいろと懐かしくて目から汗が出てきそうになりましたね。
記事が長くなってきましたので、残りの紹介は次の記事にします。
2024-01-31 05:00
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